挨拶 川島胃腸科病院院長 川島登 がんの告知は難しい問題です。告知は患者さん本人にすべきです。プライバシ― の問題もある。他人には漏らしてはいけないことでもある。例え患者さんの家族 であっても、患者さんの了解なしには話してはいけない。 今日は膵臓がんで余命半年以内と告知された中村さんにお話しして頂きます。中 村さんは前向きに生きてもう4年も頑張っています。 講演 中村哲也さん 大宮市在住 大手の製薬会社の営業部長 56才 私は4年前の52才の時に会社の定期検診で引っかかりました。精密検査をせよ と言われたのですが、イヤで半年も延ばしました。観念して精密検査を受けたら、 膵臓がんだというのです。それも既に肝臓、胆嚢に転移していて、末期だという のです。余命も半年以内。私が製薬会社にいるものですから、大学の教授も隠し きれないと言われて、まともな告知でした。そこで、私は会社と相談して、治療 第一、しかし、仕事もやるからと理解を求めました。会社も快く私のわがままを きいてくれました。手術で膵臓を6cmと胆嚢を取りました。それからは化学療 法です。抗癌剤です。これはきつい療法でしたが、私にはこれが効きました。 その後、入退院を繰り返しながら、10回もやりました。 当時気にかかっていたのは娘のことです。聞いたら付き合っている彼氏がいると いう。そこで彼氏に来てもらって、「娘と結婚する気があるなら半年以内に結婚 してくれ」と訳を話しました。そうしたら彼はそれに応えてくれて、めでたく娘 の花嫁姿をみることが出来ました。私が予想以上に長生きしているお陰で「孫」 の誕生も見る事ができました。 がんになってから、私の満足の軸足が替わりました。会社で出世したい、こんな 仕事をしたいから、日常の家族との付き合いとか,愛犬との散歩とか、木や緑が 輝いて見えるようになりました。 何か新しいことに挑戦も大事だと機械音痴の私がパソコンに挑戦しました。メー ルのやり取りは楽しいです。 私の5年生存率は3%だそうです。もっと長生きして、生存率のアップに貢献し ようと思って頑張っています。
講演後、座談会がもたれた。余命告知について、いい話し合いが持たれた。参加者の中に弟さんが講演者と同じ、膵臓がんで余命半年と告知された。本人には病名は告知されているが、余命は告知されていない。家族として隠しているのが辛くて、さりとて告知していいのか迷っている。病名が告知されていれぱ、余命は告知すべきでないし、今日の講演者のように4年たっても元気な患者もいる。と言うような話し合いであった。 午後2時-5時 行田市商工センター 挨拶 川島胃腸科病院 院長 川島登 当会の成り立ちとホスピスケアの意義について。 講演 「愛妻をホスピスで見送て」 一柳俊哉さん 浦和市在住 ―柳さんは6年前、当時まだ38才の奥様をホスピスで亡くされた。最初は町の 検診で発見した胃ガンだったが、進行型スキルスで告知はとても出来なかった。 が、その内に精密検査内容を見せろということにな て、本人も胃ガンを知 た。 しかし、本人は治る もりでいた。友人から上尾甦生病院を紹介されて、入院手術したが、そこにホスピスがあるからではなかった。最初は本人は自分はホスピ スには関係ないと言 ていたが、入院が長引くうちにホスピス病棟の コ ジネーター(SW)と親 しくなり、ホスピス病棟にも遊ぴに行くようになった。ホスピ スボランテイアもした。 そして、病状が進んで、自らもホスピス病棟で過ごすようになった。しかし、 良く外泊して自宅でも過ごした。その間も病室は確保してもらっていた。 こうして、9才と12才の子供を残して、他界した。ホスピスに居たり、自宅に居たり という期間もあり、子供も病状を判っていたので、亡くなった時、特に動揺はな かったようだ。 質疑応答 ホスピスに入る費用とか、待ち期間とかの質問。また、癌治療と介護保険についての質問などがあった。 座談会 午後4時以後、車座にな て、約2O人ほどが交歓した。
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